2013,10,26, Saturday
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2012,10,14, Sunday
皆さん、お菓子食べてますか~?
僕? もちろん! さて、昨夜「太陽と月」へトーキングブルースなるライブを見に行ってきた。トーキングブルースと聞けば古館伊知郎を思い出すが、こちらは僕の古くからの音楽仲間二人が繰り広げるトークショーだ。僕の知り合いの中でもしゃべくりに関して1,2を争う二人が組んでライブをしたらこうなるよな。コンセプトとしては気楽にトークしながら流れで選曲し歌を聴かせるということみたいだが、今回は3回目で、1回目から見ている人いわく、ますますトークの比率が高くなっているとのこと。昨夜は3時間のライブでたった6曲しかやらなかった。しかも本人達は6曲といってたが、お客さん側は5曲しか記憶にない。なんとまあすごいなあ~。 電車の時間もあり、ライブ後、ほとんど話せないまま、いや一方的に話されまくったまま、帰ることになり、なんとまあというあきれた感想しか言えなかったので、もう少しよかった面なども含めてここに書いておく。たまたまここを見て、彼らに近々会うことがある人がいたら、風の噂程度に伝わることもあるだろう。 さてその彼らを、チラッと紹介すると、その「太陽と月」の店主で歌うたいのキタニヤスタカとリンクのページで一番上にいらっしゃるハーピスト(ハーモニカを吹くおじさん)ウエッティージョー(現在はハーピンジョー)。どちらもヤルカミュージック時代はお世話になった。ジョーさんはヤルカレーベル第一弾でCD作った人、録音からその後のライブなどでサポートさせていただいたので、ヤルカ初期の頃の思い出が多い。キタニ君はヤルカが天満橋に引っ越してから、特によく来ていた。ヤルカからバイトに出かけ、ヤルカに帰ってきていた。ヤルカに住んでいた僕より、ヤルカのユニットバスを使っていたような気がする。そしてこの二人、とにかくよくしゃべるので、ヤルカ時代、何かの集まりでみんなでわいわいやっていて最後はこの二人がしゃべり続けていてその傍らで僕が作業をしているという、そんな記憶がある。 昨夜、ステージを見ながらその頃のことがリアルによみがえった。ここで友藤が大いに同意し、それに回りが反論し、僕が余計にややこしい意見を主張しと、かつてならこの二人を軸に大いに話が盛り上がったな~、夜士郎、脇さん、ブギーさんと、個性的な面々が、トークをいくらでも面白くしていたな、僕も作業をしながら聞こえてくる会話に引き込まれついつい横槍を入れたくなったな。でも、昨夜は客席で見ているのみ。もちろん彼らの無駄話は面白く、特にウエッティーさんは普段から多数の前ではみんなに聞かせる事を意識しつつしゃべる人、ライブではわりと真面目なトークをするが、そこはキタニ君のトークが柔軟剤になりますますウエッティーさんも饒舌になる。そりや聞いてるだけでも面白い。でもやはり話のネタによっては参加できなさに一抹の寂しさを感じずにはいられなかった。 さて、そんな長~いトークの合間に、おそらくキタニ君がしゃべり疲れたタイミングに導入される歌は、これももちろん狙いだろうけど、ゆるい感じでライブでどうしても入ってしまう余計な力がまったくなく、曲の作り手がほぼ100%その曲になりきれているという、絶妙な雰囲気を出せていた。そこにウエッティーのハーモニカが抜群に合っており、ただただ心地よく堪能できた。 ヤルカ時代、音楽仲間が集まって持て余すほどの時間の中で無駄話を繰り広げる。不意に誰かが歌いはじめ、それぞれに音を重ねる。そんな瞬間にすばらしい音楽が生まれたりしたものだ。 昨夜のライブ、その点ではまさに成功だろうな。この二人に面識があり、このイベントをまだ見ていない人にはぜひお勧めする。次回は年末あたりにするらしい。僕かい?もちろんまた見たいさ、10曲以上歌ってくれるのであればね。 |
2012,09,09, Sunday
しかし、わからない。
NHKのど自慢の鐘の採点基準が! わ、この人うまいな~なんて見てたら、コン~コン~と鐘二つ。いい線いってるけど音程外してるな~っと思ったら合格の鐘。僕の耳かな?、いやいやそれにしてもだよな~、あるいは音程以外の要素の割合が高いのか、たとえば元気のよさとか、世論の支持率とか、歴史的背景だとかさ、、、まあ、何でもええけどね。 4日後からの稲刈りに備えて体調管理にびくびくしているこの頃です。季節の変わり目なので皆様もお気をつけてね。 そんなわけで、いい季節、秋を目前にし何か活動的になりたいような気持ちの高鳴りの予感を感じてそわそわしながら、ごろごろしてたら、ついうたた寝してしまったりなんかしていますがとりあえず現状維持で生きております。 さて、この間、ちらっと書いた領土問題について僕の思うことを書いてみます。 もうなんというか賞味期限が切れかかってしまった感じはありますね、ニュースなんかも流行りがありそのスピードも速いもので、誰かがその問題で何かでかい事をしでかさないとフェイドアウトしていくなあ。もちろんでかいことをしてくれるのは望んでなく、フェイドアウトを歓迎するんだけどね領土問題についてはね。結論から言うと現状維持がいいね。お察しのとおりどちらが正しいかという問題は結局どちらも正しくてどちらも間違っているということになってしまう。決着をつけたいのなら取り合うしかない。平和的解決とか言っても、取り合いが始まれば行き着く先は見えてくる。この現状の意味をもっとよく考えて新しいあり方を探ればいい。どちらのものでもないあいまいな領地というのは本当に平和を望むのであればそのあいまいさの価値が見えてくるはずだ。そこに世界平和に一歩ふみ出すチャンスが眠っていると思う。だからそのあいまいさを維持し、怒っている人たちのことについて真剣にみんなで考えればいい。怒りの出所を突き止めれば領土とは関係のないところにちゃんと解決策は見えてくると思う。 まあ、こんなところかな~。 しかし、テレビで好戦的な挑発を目の当たりにしたら、ムカムカってしてしまうのはしゃあないね。そのムカムカを我慢するのもなかなか立派な平和活動なんじゃないかな。小市民にも小市民なりにできる貢献があるのさ! そして、そんな小市民は慣れない100円均一じゃない回転寿司屋に行くと、このブリうまいな~と感嘆した後に400円の皿であることに気づいたりするんだよ。 |
2012,08,19, Sunday
またまた日記、1ヶ月あきました。
そんなに忙しかったのかと問われたら、もちろん忙しかったと答えても嘘にならず、そうでもなかったも嘘にならない、そんな程度の感じでした。 8月頭に夏風邪を引いてしまって、3日も仕事を休んだよ。近所の医者はプール熱かな~だって。そう最近休日のお出かけは半ズボンにキャップスタイルで手にはガリガリ君、小学生と言われても仕方がないわけだね。 さて原発問題があまり聞こえてこなくなったのは、落ち着いたわけでもなんでもなく、よりホットな話題が浮上したからだね。1ヶ月も日記ほうっておいたら、いろいろ書くことがたまるな、でもいざ書くとなると難しいね。 新聞に毎朝いじめについてのコラムが載っている。いろんな分野の著名人が自分の経験を元に呼びかけている。そのほとんどがいじめられた経験を語ってたね。いじめられている子に対して頑張って明るい未来を勝ち取ってほしいというようなメッセージだ。もちろんそんな立派なメッセージに反論するつもりはない。でも、幼い頃にいじめを受けてそこから立ち直り立派にある程度の地位を獲得した人らの文章は、結局片方側からの経験談でしかない。だから反対側の話もほしいところだ。しかし世論がどちらを好むかは明らかで、過去にいじめをしてましたなどと公表したら、その人は今の地位を失う危険があり、それを取り上げたメディアも痛手を食いかねない。だからそんな経験談は表立ってでてこないわけだ。 では僕の経験談はというと、いじめたことも、いじめられたこともある。でもどちらにしても子供の喧嘩を超えないレベルのもので誰もがある程度経験してる類のものだと思う。いじめられていた子とその後親友になったり、いじめた子とも友達になったりという子供の世界では日常に起こるであろうことだ。この程度のことは子供の内に経験したほうがよいことなのかも知れない。だが取り返しのつかないことになるラインは遠いようでいて身近にあったりもするものだ。そこを見極めるのは人間に備わった直感の力で、ほとんどは知らず知らずに回避されているのだと思うが、ある条件が重なるとすり抜けてしまうんだと思う。人の死を伴うようないじめは、じっくりとその全部を見つめてどんな無数の条件が重なり合ったのかを知る必要があると思う。 風が吹いたら桶屋が儲かるだっけ、つながりってものは限りなくて部外者と思っていても自分の些細な行動や判断が、そんな大きな事件の一端を担っている可能性も否定できないわけだ。しっかり耳を澄まして、ささやかな虫の知らせをキャッチできるように心がけることが大事だと思う。いじめた人間を非難したり、その責任をとるべき人間を追及するだけでは何一つ解決にはならない。 さてもうひとつ領土問題が激しくなってるね。 これもまた難しいのでまたの機会に~ 地球はみんなのものだ!ってことでお許しを。またじっくり考えておきます。 ちなみにところてんは三杯酢派です。 |
2012,07,11, Wednesday
いろんな組織に対する不信はつのるばかりだね。
今日、車を運転してたらパトカーとすれ違った。思わずびくっとなったね。シートベルトはもちろんしてるし、法廷速度も守ってた。それなのになぜって、 それは左手にパピコを持っていたからさ。運転しながらのパピコって違反だったっけ?、、まさかね。でも反射的にそう思ってしまうほど、あの組織を体が受け付けてないってことさ。助手席の相棒も同じことを感じたってさ、しかも言ったね、○○さん日記に書くこと出来ましたねって。 そんなわけで久々の日記です。 先週ぐらいかな、国会事故調が報告書を提出したね。原発事故は人災だ!と。 なかなかいいじゃないかい、そのいさぎよい結論。たしか前回の日記で菅政権に批判的なこと言ってるから胡散臭いと書いたけど、ちょっと早とちりだったかなって。そしてホームページでその報告書とやらをダウンロードしてみた。ちゃんと読んでみて判断してみようかとね。でも、結局それ読む前に新聞やテレビでその話題を読み聞きしているうちに、何かさめてしまったよ。どうやら菅政権に批判的であった訳は、その国会事故調のメンバーは自民に近い人らや民主でも反菅政権の人らに近い人らの集まりらしい。なるほどね。公正に判断できる第3の目みたいなことをうたってても結局そんなもんか。そして、途中経過で発表されたときに菅政権を痛烈に批判とメディアが報じ、事故調査とか言っても結局政権闘争かとの世間の声が多かったのを受け、今回の発表ではその辺はあまり強く言っていない。あくまで中立公平な事故調査だといいたいのだろう。でもでも、なぜこのタイミングかな?と疑問に思うね。何せ原発再稼動し発電し始めたタイミングだよな。再稼動前のデモが盛り上がっていたあたりで「原発事故は人災だった!」と発表してほしかったものだ。さてどちらがあわせたのか、はたまた偶然そうなったのか。やっぱり胡散臭い。 さっき、そのダウンロードした報告書のダイジェストにさらっと目を通してみたけど、心に訴えてくるほどの文章には思えなかったな。事故に至る前の組織のありようなどを批判していたのはいいと思うが、でもそんなもん小学生の学級会でもそのぐらいの結論はだせるんちゃうかい。子供の感性は鋭いよ。いま取り沙汰されている滋賀の教育会の問題でも子供は純粋だよな、そして組織の悪いところが浮き彫りだよな。もう今の仕組みが限界に来てると思えてくるな。 この間のライブでタイバンの井上卓さんが言ってたな、「声をあげようや」ってね。 いろいろ難しいし、ひとつの問題をいろんな角度から考えようと全部の情報を集めたら、どっちも正しいしどっちも間違いってなってきて何も言えなくなるもんだ。やっぱり最後は自分の好みで選ぶしかないよな。そうそれでいいんだろう。ただわけが分からなくなるまで考え抜いたあとにだ。 だから、スーパーの菓子パンのコーナーで長時間立ち尽していても変な人と思わんといてね~ |
2012,06,10, Sunday
朝、新聞に出ていた。国会事故調が当時の政権を批判と。読んでみるととても分かりやすく、全面的に当時の菅政権の対応が悪いことになっていた。民間の調査では東電が撤退を表明したおりに菅さんがしゃしゃり出たこともある程度評価されていたが、その辺も東電の撤退意思はなかったなどと、くつがえっていた。まあ真実のところは分からないわけだけど、胡散臭いね~。一般市民のアンケートなども載せられており、当時の政府批判的なものばかりピックアップされていた。胡散臭いね~。
そして原発が再稼動する流れだよね。 僕はどちらかと言えば反原発派だが、今のところ旗を掲げて飛び回るほどの熱意はない。震災後も原発はいくつか動いていたわけで、再稼動してもその状態に戻るだけともいえる。だがしかし、将来的になくす方向に向ってもらう為には、動いている状態に慣れてしまってはいけない。少々生活が困難になってもこの機会にとことん脱原発に向ってほしい。 それに僕が思うに、原発の安全性は、震災前と震災後では明らかに違う数値だと思う。ちょっと怪しげな考え方になるけど量子力学では結果には人間の意識が反映されたりするわけだ。世の中の物理学がしっかり同じ値で機能していても、人間の意識は大いに変わってしまったと思う。それだけじゃなく環境の変化もここ最近は大いに変わってきているしね。ということで、しっかり整備された車で通いなれた道を運転していたのが、信頼できない知人に借りた車で知らない道を運転している、さらに少し酔っているぐらいに代わったと言っても言いすぎじゃないと思うな。 生活のために働いて、経済を回す。世の中の仕組みに従わなけりゃ存在自体が透明になってしまう。そんな仕組みにこき使われていると感じる人らは、仕組みに対して批判的になるもんだ。また反対にそんな仕組みに恩恵を受けていると感じている人らは、仕組みを何が何でも死守するだろうな。 そんな対立が際立ってきたときに、しっかりと自分の足で立ってどちらにも引きずり込まれないようにしたいもんだね。今の僕なら反体制側にあっさり取り込まれてしまいそうだよ。くわばらくわばら。 |